山伏とキツネ

(青森県、津軽地方)

昔々な、山伏、秋サなったとき、
村サ回って厄除けして歩いたもんだと。
法螺貝しょって行ったきゃ、山伏ア、隣の村サ行くに、
山道行かねえで、山越えして行ったきゃ、や~、
ずっと下に、川のよどんで青い淵があったと。

・・・キツネ、気持ち良さそうに寝てらゾ。

語る成田キヌヨさん
語る成田キヌヨさん

(次からは全国区の皆様のために、会話のみ方言にします)

山伏は黙っていればいいものを、寝ているキツネの耳元で、
法螺貝をぼわっと鳴らした。
キツネ、どってんして(びっくりして)沢に落ちて行ったぞ。
山伏は、後ろからウオオ~と大声を出して脅かして、

“ふふっ、いい塩梅[あんばい]した”

と、思った。

隣村で祈祷して戻る道で、まだ陽も高く、
さっき通った川の淵を通りかかった。

・・・あらら、急に暗くなったぞ。
いや~、どうしたらいいのかな(どうしたもんだべ)

・・・この山、越えて行くのだが、こんな暗いところを歩いていられねえな。

そこで、川の岸に上がった。

上がると、家が一軒あって婆さまが出てきた。

山伏「山越えして行くつもりだが、遅くなってしまった。
一晩泊めてくれないか?」

婆さま「これから山越えするのは、難儀だ。
だけど、何もご馳走はない。
着て寝る布団もないから、朝まで火を炊いて、寝ることになるが、
それでもよければ泊まっていったらいいよ(よかんべ)

そう言った。

法螺貝を吹く山伏
法螺貝を吹く山伏(伊万里の色絵、製作年代1736~1772年)
作品の所蔵先、写真提供:栗田美術館(足利市)

「さあさ、上がって、火に当たれ」

と、火を入れてくれた。
山伏は、“一安心だ。火を炊いて、そこにゆっくり横になればいい”
とばかりに横たわった。
婆さまは、

「隣で寝よう」

と言いながら、隣の部屋に入った。
山伏は、寝ぶかけしながら、

“なんぼ婆さまだといったって、おなごだもの、な”

などと思いながら、うとうとした。

山小屋だもの、隣の部屋といっても、戸も何もない。
掛けむしろを下げて仕切っていた。

・・・すると、掛けむしろの蔭から、

♪棚に上がってら、ホオズキなんば食ったきゃ、
 腹、病めるじゃ~、腹、病めるじゃ~♪

と、顔をべろっと出した者がいた。
ふっと見ると、いや~、口が耳まで裂けて、
角の出た鬼婆だった。

・・・うわっ、大変なとこに泊まったもんだ。

こわくてこわくて、ズルズル後ずさりした。

「婆さま、居るか?」

と呼んでも、返事がない。

・・・あの婆さまだろうか、いったいこりゃ何だろう?

また、イヤな歌が聞こえた。

♪棚に上がってら、ホオズキなんば食ったきゃ、
 腹、病めるじゃ~、腹、病めるじゃ~♪

顔をべろっと出したのは、さっきの鬼婆だった。
もう恐ろしくて我慢できなくなった。
後ろにじりじり下がった。

だんだん後ずさりしている内に、ザバ~ンっと、水の音がして、
川の淵にまっさかさま。
そこは何と、昼間、キツネを脅かした崖っぷちの下の川だった。

だから何も悪いことをしない生き物を脅かしたり、いたずらすると、
こうなるんだよ。

・・・この話は、そのことを言っているんだよ。

(と、母は言ったものでした)

とっちばれ

スーちゃんのコメント



【語り部】 成田キヌヨさん
(昭和7年<1932年>9月11日生まれ)
【取材日】 2004年5月23日
【場 所】 十和田市、民宿ぽぷり
【紹 介】 佐々木達司氏
【方言指導】 井澤智映子さん ((社)青森県観光連盟)
【取 材】 藤井和子

皆さんは、山伏を目にしたことがありますか?

蛾蛾たる山並を背景にして、何人かの男の行者が、
白装束に身を包み、
法螺貝を手に頭に黒い物を乗せている・・・

そんなイメージが浮かぶ。
彼らは、なぜこういう身なりをして山中深く行くのだろうか。

山伏とは、山に伏し野に臥して修行する、
の意味という。
日本には、古来から山をご神体として拝み、
深い山に分け行って修行する「山岳信仰」があったが、
これを基盤にして神道、儒教、道教、陰陽道を習合して
日本独自の仏教となったのが、
修験道[しゅげんどう]であり、山伏はその行者である。

しつらえた護摩壇で、煙の中で護摩を焚いて、
息災・増益・降伏・敬愛を
呪文を唱えながら祈り、祈祷を行う・・・

これは密教寺院の写真で見受ける光景であるが・・・、

それから彼らは、熊野や大峯山の山懐深くに分け行って、
霊験を体得する修行を行う。
それは、困苦を忍び、心身を修練する難行・苦行の
厳しい修行の実践で、
仏果(菩薩道・即身即仏)を得ることを目指している。

火渡りの修行をする山伏
火渡りの修行をする山伏
写真提供:森本眞弘氏(南紀白浜、救馬渓観音住職)

密教を基礎とする修験道であることから、
中世に、天台系の本山派修験道(天台山伏)と、
真言系(真言山伏)の二派が確立している。
前者は熊野三山、後者は大峯山を修行の場とした。

スーちゃんの敬愛する灸の先生は、小豆島(琴塚)に在住。
8代前の先祖が大峯山で修行する山伏について入山し、
喘息のつぼを体得した。
先生も76歳までは、年に一度、大峯山にお参りした。
先祖から伝わった秘伝の喘息のつぼはむろん、
先生のレパートリは広い。
[やまい]を抱える知人を連れて行ったこともあるが、
片桃腺炎、更年期障害の腰痛、
湿性や乾性の膝関節炎など治ったと聞いている。
スーちゃんも足のガングリオンを整形医ではなく、
この人に治してもらった。

「子どもがいないので、80を越えたし、もう自分の代で終わりです」

と、いつも寂しそうに言う。

さて、江戸時代の山伏について、
ケンペルは次のように述べている(『江戸参府紀行』より)

“錫杖[しゃくじょう]を付き、
法螺貝を吹く山伏には深い感動を覚えるが、
演説をする山伏一行の騒々しさは、言語に絶する。
・・・江戸時代の庶民が吉凶禍福の祈祷や予言、
失せ物を占うなど、彼らを頼りにしているのも事実である”。

庶民が頼りにした呪術的な側面ばかりではなく、
村の行事に指導的な立場で参加したり、
諸国をめぐって得た新知識を伝授したり、
山伏の存在は一目置かれたものであった、と思う。

山伏の装束はほぼ決まっているから、
山伏風の格好をした偽物もいたらしい。
スーちゃんは、江戸庶民と山伏の偽物との関わりには、
好奇心をそそられるが、
今回はそういう山伏の応用編(?)は、割愛する。

役行者像(鎌倉時代、重文)
役行者像(鎌倉時代、重文)
(石馬寺(滋賀)、所蔵)
注1 法螺貝・・・日本最大級の巻き貝の貝殻を使って、吹き鳴らすようにした法具。山伏は勤行の山歩きに携行し、仲間どうしの合図をしたり、猛獣よけに吹き鳴らした。古くは軍隊の進退の合図に使用した。これが進軍ラッパになったのでは、と思う。8種類の吹き方があり、人に聞かせられるようにまでなるには、10年もかかるという。
注2 頭襟[ときん]・・・山伏の被る小さな黒い頭布。大日如来の五智を示す宝冠をイメージしたもので、12のひだを付けている。
五智とは、法界体性智、大円鏡智[だいえんきょうち]、平等性智[びょうどうしょうち]、妙観察智[みょうかんさっち]、成所作智[じょうしょさち]をいう。これらはスーちゃんが著者の岡潔氏から、よく聞かされたことだった。当時「風蘭」(講談社現代新書、現在は絶版)を担当していた。