■佐渡ガ島、赤泊地区(新潟県 佐渡市)

旧赤泊村は、平成16年3月1日、佐渡市に合併したが、新潟県寺泊町の対岸40kmにあり、佐渡ガ島の南部にある農、山、漁村である。人口約3300人。

佐渡ガ島の玄関、両津港から赤泊地区までは乗用車で約1時間(直江津に渡る小木港からでは約30分)。島を囲む海や、彼方に霞む金北山(標高1172m)を眺めながら、稲田で青ばむ国仲平野を通り抜けて一路山路へ。赤泊地区への途中には、杉の大木に囲まれた由緒ありげな妙宣寺の県内唯一の五重の塔や、真野の宮(順徳上皇をまつる神社)と真野御陵(上皇の火葬塚)等、見所も多い。

赤泊地区を案内して頂いた役場の木下雅樹氏(地域振興課)によれば、赤泊の温暖な気候は年平均13℃。おけさ柿は、みかんが出回る直前の10月半ばから出荷する名産品。また、昔は竹が盛んに出荷された。ちょっと見、50台半ばの木下氏いわく「自分が高校生の頃には、竹薮から竹出しのバイトをしたものです」

公営の“サンライズ城が浜”の食膳で出されるイカ、エビ、魚介類はピカピカ取れたてのもの。何しろ目の前の海から直送ですからね。

旧赤泊村は、かつて交付された“ふるさと創生”資金1億円を「民話の里」づくり事業に投資、1988年に「民話の里」づくりをスタートした。この地区を佐渡ガ島ナンバーワンの「民話の里」にしようと意気込んだ村興し事業である。

事業の主な内容は、

  • 郷土の民話を掘り起こして、シンボルとして銅像を建立すること。
    (2005年現在、ブロンズ像は5体ある)
  • 絵本を刊行して村内全戸に無償配布する。(絵本7話を刊行)
  • 民話の語り部を養成する。

として実現にこぎつけている。

中でも児玉宗栄氏は、教職に在職中から郷土の民話を熱心に掘り起こしている。「佐渡民話の会」会長として、語り部の指導や絵本の執筆・刊行の中心人物として、「民話の里」づくりに貢献している。

さて、トップバッターは、会長の児玉氏の「蝶ねえ」のこの地区一番の昔話です。
「昔のう、山田に住む兄ちゃんはのう・・・」と、語り始めました。

赤泊民話の会 写真
赤泊民話の会の有志、取材風景

蝶ねえ

(新潟県 佐渡市)

昔、山田に住む兄[あん]ちゃんは、村一番の働き者だった。
ある日、山の畑を耕していた時に、
一匹の蝶が若者の周りをひらひら、ひらひらと
まとわりつくように飛んでいた。
見たこともないような美しい蝶であった。

捕まえようとそっと手を延ばすと、すっと逃げた。
鍬の先から近くの小石に止まり、小石から近くの小枝に羽根を休め、
じりじりと遠くに飛んで行く。次第に山の方へ逃げて行く。
蝶はまるで心があるかのように、
誘うように遠くへ遠くへと逃げて行く。

蝶ねえのブロンズ像(制作:田中足穂) 写真
蝶ねえのブロンズ像
(制作:田中足穂)

兄ちゃんは、

“こうなったら、どうしても蝶を捕まえるぞ”

と、畑仕事はそっちのけで蝶の後をつけて行った。
追いかけては逃げられ、また追いかける、
を何べんも何べんも繰り返した。
ふと気が付くと、深い森の中に迷い込んでいた。

(現在の赤泊港から8kmほど山に登った爪の沢には、
“蝶ねえ”の銅像が建っています)

目の前に池があった。
そこは昔からあった爪の沢の池だが、
不思議なことにまん中に小さな館が建っていた。

“おかしいな、こんな所に、家なんかあるはずがないのになあ”

と、いぶかしんだ。
もっとおかしいことに、
赤い欄干の付いた橋が架かっていた。

橋に近寄って行くと、
館の中から美しい若い女が出てきた。

「ようこそいらっしゃいました。お待ちしておりました」

「待っとった? おれ、用があってきたんじゃない、
蝶を追いかけて来たら、ここへきたんだ」

「蝶は私が飛ばしたのです。一人暮しで寂しいので、
話相手になる人がいたら、連れてきて欲しいと、蝶に頼んだのです」

「へえ、蝶がおれをここまで連れてきた、ちゅうのか?」

「・・・」

おかしなことを言う人だな、

と、思ったが、女の言うままにふらふらと館に入った。
女の清純な色香に迷ったのですね。

その館は、外から見たときは小さな家だったが、
実際に中に入ると、ものすごく広く、部屋がいくつもあるようだった。
どうしてこうなっているのか、納得出来ないまま、
女の後からついて行った。

長い廊下をずっとずっと歩いて行くと、
一番奥に畳敷きの奥座敷があった。

床の間の掛軸には、色とりどりの大小さまざまの蝶
・・・赤い蝶、紫の蝶、黒い蝶、黄色の蝶の絵が掛かっていた。

その中の一匹は、
紛れもなくずっと追いかけてきたあの蝶ではないか!

ひときわ目立つ美しいやつ。

おかしいな。
さっきの蝶が絵になったのか、掛軸からあの蝶が飛び出したのか? 

分からないままにぼんやり立っていると、
あの女がお膳を捧げ持って入ってきた。

「まあ、御ゆっくりして、一杯やってくださいな」

よく晩酌をするので、兄ちゃんは一杯くらいなら、まあいいか、
と思って一杯飲んだのね。
そしたら、“もう一杯、どうぞ”と。

酒好きなので止められなかった。

飲むほどに酔うほどに、だんだん気分がよくなった。
女は決して兄ちゃんの気を反らさず、上手に話しを運ぶ。
楽しく話しあっていたわけだ。

ふと気づくと、夜のとばりがあたりを覆っていた。女は

「あれっ、外は暗くなっておりますよ。
夜道は危ないから今夜、泊まって、明日朝お帰りになったらどうですか?」

と、美しい笑顔をみせた。

兄ちゃんは、一晩くらい、泊まってもいいか、と、
泊まることにした。

あんどんのほの明るい灯影の中で、
掛軸の蝶が残らず蛾になっていた。

・・・これはどうしたことか?

兄ちゃんは不思議に思ったが、明日考えよう、と、寝てしまった。

次の朝になると、美味しい朝ご飯を出してくれた。
楽しく話ししたり、女が歌ったり踊ったりするもてなしに気もそぞろ、
その日も夕方になってしまった。

“外は暗いから、泊まって行きなさい”

という言葉に甘えて、また泊まってしまった。

次の日も、次の日も・・・
兄ちゃんは、帰るのを忘れてしまったの。

児玉氏は続ける。

その内にのう、アノウ、夏は過ぎて秋になったの、
秋も過ぎて冬になったの。

山には深々と新雪が積もった。
それでも兄ちゃんは、帰りたいと思わなかった。
女は言った。

「山路は危ないから、春になって帰ればいい」

この美しい女を放したくない、と思った。
女の微笑み、笑い声、女の面影は一瞬たりとも頭から離れなかった。
寝てもさめてもたえず女と一緒にいたいと思った。
まぼろしでもいい、
この女と暮らすことが、何物にも換えがたく幸せであった。

いつの間にか、兄ちゃんは女に激しい恋をしていた。

離れられないと思ううちに、一年経ち二年経ちした。
3年目に、女の腹が高くなって、やがて子供が産まれた。

・・・男の子か、女の子か、全然知らんけどな、

と児玉氏。

子どもの顔をみた時、
兄ちゃんは急に思いだした。

“おれにも親が居た。きっと心配しているに違いない”

兄ちゃんが

「帰ってみたい」

と言うと、女は顔を曇らした。

「それは、困るのよ。
里に戻れば、ここの話をみんなにしゃべるでしょう?
その瞬間、私はもう人間の姿では居られなくなるのよ」

謎のような言葉を口にした。
なぜ?と問いかけようとする兄ちゃんをさえぎるように、

「私の正体? ほほほ」

と、横を向いてかわした。

うすうす女が何者か分かっていた兄ちゃんは、
女の正体を口にしたくなかった。

・・・この女がたとえ化物であっても、おれは、いいんだ。

じっとうつむいたまま、次の言葉を呑込んだ。

「帰るなど言わないで、ずっとここに居りましょう。
食べ物や病いで困ることはありません。
ここでは年を取ることもないし、死もやって来ない」

「あなたといつまでも幸せに暮らしたいから・・・」

女は、切々と訴えた。妖艶な風情であった。

兄ちゃんは、わが子の顔を見るたびに、
親のもとに帰りたくなった。

どうしても里に帰る、

と言い張る兄ちゃんに、女は言った。

「分かりました。あなたがそれほど言うのなら、お帰りなさいな。
でも、人には決してしゃべらないと約束してちょうだい」

・・・もちろん人には言わないよ、

兄ちゃんはくどいほど約束した。
女はなおも言った。

「私の正体が知れると、二度と人間の姿には戻れません。
あなたとも暮らせなくなるのよ。分かりましたか?」

山を降りて行くと、友達が畑仕事をしていた。

「あれっ、おまえどこへ行っていた?」

これは、ほんの始まりだった。

村人が次々とやってきて、口々に尋ねた。

「おまえが居なくなって、みんな一生懸命で探したぞ。
いったい今までどこへ行っていたんだ?」

「沢に落ちて怪我した者や、蜂に刺された者や、
海へ探しに行った者は溺れかかった。いったいどこへ行っていたんだ?」

・・・兄ちゃんは、

どうしても言えない、

語る児玉宗栄氏 写真
語る児玉宗栄氏

と頑強に言い張った。
村の人々は、

「何でか?」

と、追求の手を緩めない。

困り果てた兄ちゃんは、そっと

「おれの幸せが壊れるんだ!」

・・・あねさんと会えなくなるんだ、

と、つぶやいた。

あねさん? あねさんって誰だい?

仕方なくざっと話すと、友人らは言った。

「おまえは、その女にたぶらかされたんだ。
男を引っ張り込むような女はろくでもない、けしからん女だ」

“蝶ねえ”って呼んでいいんだ・・・
あのヒトは、そんな悪い女ではないんだ」

人々は言った。

「そういう女なんか、居るはずがない。うそだろう?」

兄ちゃんは、しぶしぶみんなを爪の沢に連れて行った。

そうしたらね。
池はあったけれど、
館も赤い欄干の付いた橋も消え失せていた。
ほら、蝶の羽根が・・・あそこにもここにも。

池には無数の蝶の死骸が浮いていた。

兄ちゃんは、悲しくなって、叫んだ。

「蝶ねえ! 蝶ね~え!」

その声はこだまするばかりで、空しく響いた。
蝶ねえは、再び姿を見せようとはしなかった。

児玉氏は、こう言って結んだ。

「言うな、って言われたのに言ってしまったからね。
会えんようになってしまったちゅうわよ。そういう話だ」

(ここの昔話の終わりの言葉は、“・・・ちゅうわよ(ということです)だそうです)

スーちゃんのコメント



【語り手】 児玉宗栄氏(1936年生まれ)
【取材日】 2005年5月27日
【場 所】 サンライズ城が浜
【取 材】 藤井和子

児玉氏は、500話を記憶しているという。
赤泊の民話の指導者でもある。
とにかく民話を語り始めると止まらない。

さて・・・

蝶を飛ばして兄ちゃんを爪の沢まで呼び寄せる
“蝶ねえ”の話は、民話とはいえ
一つの恋愛の始まりと終わりを美しく悲しく語っている。

兄ちゃんは、初めから終わりまで受身であり、
女の方は筋書き通りに自分の恋心をぐんぐんと
現実のものに変えて行くパワーを持つ。
いえ、これは銀座の夜を華やかに彩る
“夜の蝶”の話ではありませんよ。

毎日のように野良仕事にいそしむ
兄ちゃんを見て好感を持つ。
この男を爪の沢の自邸(?)まで連れてきて、
一緒に暮らしたいと思う。

では、どうするか?

女は、様々に考えを巡らせたに違いない。

兄ちゃんが、夢のように3年という月日を
蝶の館で過ごした幸福な日々は、
お互いの相手に対する深い思いがあったことだろう。
聡明な蝶の化身にとって、わが恋を成就した後も、
兄ちゃんを幸せにすることは
何ほどのことでもなかった。

本当は得恋よりも、お互い生身の生活を、
毎日幸せに続けることの方が
何倍も難しいだろうけれど。

この幻想的な生活は、
兄ちゃんが現実の世界に戻ることによってすぐに壊れる。

「ここであったことを誰にもしゃべるな」

という蝶ねえとの約束は、
村人の厳しい追求で破れた。

同じ様なタブーを破った昔話としては、
ハーンの「怪談」で有名になった雪女の物語がある。
吹雪の夜、訪れた雪女は、

“命を助けてやるが、夜中の出来事を誰にもしゃべるな”

と、男にくぎを指す。
男はふと気を許して、後年しゃべってしまう。

人間にとって“秘密をしゃべらないこと”は、
かなり苦しいことである。
心を許す相手には、
つい衝動的にしゃべってしまい
容易に約束を破ってしまう。

しゃべるなというタブーを犯して蝶ねえには
再び会えなくなった兄ちゃんは、
甘美な恋の思い出から抜けでることができるのか、
スーちゃんは心配である。

恋に落ちるのはたやすく、
抜け出るのは心が痛むからである。

蝶ねえの立つ背後が爪の沢池。 写真
蝶ねえの立つ背後が爪の沢池
木々に囲まれた標高500mの緑濃い森の中にある池。
夏は島内有数のキャンプ場として池畔はにぎあう。