こんな晩(旦那さまと六部)

(新潟県 十日町市[旧中里村])

むかい(むこんしょ、地名)にゃ、
ここらあたりにはいないような旦那さまがいた。 サース

樋口倶吉氏
樋口倶吉氏

その旦那さまというのは、
昔からの旦那さまではなかった。
つい10年ほど前までは、貧乏で貧乏で、
食べる米もままならないし、
借金はあるし、
そういう旦那さまが
急にムキムキ、ムキムキと、
身上[しんしょう]がよくなったんだと。 サース

何がもとで、そんなに身上があがったのかな?
そしたら、深い訳があったと。

ある秋の寒い日、
その日は朝から雨がバシャバシャ、バシャバシャと降っていた。
夕暮れになって、
六部が泊まるところがなくて困っていた。

(行脚僧。書写した法華経を66カ所の寺院に納経しながら
巡礼の旅をした僧侶)

「ここで、泊めてくれませんか?
(ここん衆[し]、一つ泊めてくんなかい?)

と言って、来たんだと。 サース

その家では、

「おら、貧乏で貧乏でおまえが泊まったとて、
もてなしは何も出来ねスケ、だめだ」

と断わった。

「かまわねえ。何でもいいスケ、
この雨サ当たらなければ何でもいいスケ、泊めてくんなかい」

と六部は頼み込んだ。

そんなのでもよかったら、

と、六部は泊まることになった。 サース

そこのトトは、真夜中に小便に起きて、ふと脇をみた。
六部の寝ている座敷の方から、
チャリーン、チャリーンと銭[ぜに]の音が・・・ サース

(小判を数えているのでしょうか。話の始まりからして、鬼気迫る光景です)

六部の寝ている部屋にコソン、コソンと近寄って、
障子の破れ目から、こ~う覗いてみた。

(爺ちゃんは、両手で目の前にひさしを作って覗く真似をした)

・・・そうしたら、銭勘定していたんだと。 サース

六部っていうのは、
[おい]という箱のようなのをしょっている。
その中の竹の筒に金を入れて置くんだと。 サース

(笈は、修行僧などが背中に背負う箱。
旅をする時に生活必需品や仏具を収納し、引戸で開け立てした)

それを見たトトは、
金が欲しくて欲しくてたまらなくなった。

・・・おらは、貧乏で金など拝んだこともない。
いつも借金で首が回らない。
ああ、すぐ目の前に金がうなっている!

・・・これだけの金があれば、一生、楽に暮らせる!

心の闇が一瞬にトトを覆った。
悪いこころがトトにささやいて、金を盗むようにけしかけた。

外は秋雨が降る丑満時。
六部を殺したトトは、屋敷の隅に六部を埋めた。
冷たい雨が容赦なくトトに降り掛かっても、
金の妄執に取り付かれたトトは
人間のこころに戻らなかった。

誰も見ていないんだもの、構うもんか!

(誰にも見られていないから、人殺しは半分かた成功したのでしょうか。
見られなかったら、犯罪の事実がないのと同じ・・・
最近は、そう思うような世相ですが、そうではないよ、というのが
この話のすごいところです)

六部が持っていた金を盗んで元手にして、
金貸しを始めた。
人に金を貸しては利息で儲け、また人に貸し・・・
田畑や山を売りたい人がいると、どんどん買った。

そうこうするうちに、
ムキムキ、ムキムキと身上があがったんだと。 サスケ

金もあり、地所もあり
何もいうことがなかった。
ただ一つ張合いのないことは、子どもの無いことだった。
そこらの人が子どもと手をつないだり、遊んでいたりするのをみると

「子どもが欲しいなあ~」

と、どうしようもない。
毎日、欲しいなあと思い暮らしていると、
何と、子どもが出来たんだ。 サスケ

子どもは、それも男の子だった。 サスケ

ようやく出来た子どもを可愛がって(めじょがって)
それはそれは大事に育てた。
ところが、その子は3つになっても4つになっても、
モノを言わない。
立つことも出来ない。
腰がフラフラして立てない子どもだった。

旦那さまはそれでもその子をめじょがって育てたんだと。 サース

その日は、
やっぱり朝から雨がバシャバシャ、バシャバシャと降っていた。
晩がたになったら、
もう滝のように降り出した。 サスケ

暗い闇夜で、
鼻を撫でられても分からないくらいの闇夜だった。

・・・こういう晩は、早く子どもを寝かそう。

寝る前に小便をさせようと、
息子(アニ)を抱いて外に出た。 サース

雨はバシャバシャ、バシャバシャ降る、真っ暗な夜。
トトが、思わず

「馬鹿げに雨は降るし、暗えなあ」

とつぶやいた。
その時だった。

今まで一言もモノを言わなかった息子(アニ)が、
口を開いた。 サース

「あの晩に、そっくりだなあ(あの晩にそっくりだのし)

真っ暗の中で息子(アニ)の面[つら]だけが青くひかり、
トトを見てニタニタニタと笑ったと。 サスケ

さあ、トトは驚いたの何の。

・・・この野郎は、
おれが殺した六部が生まれ変わったんだな。

・・・仇打ちに来たんだな。このままじゃ置かねえ。

めじょがっていた息子を殺して、
畑に埋めたと。 サスケ

そうだから(それだすけ)
いくらかたき打ちで産まれて来たのでも親にはかなわない。
親に返り打ちになった、
っていうことだ(なった、ってがんだ)。 サース

その旦那さまの屋敷は、
今でも雨の降る暗い晩には、
青い炎[ひ]が、トコトコ、トコトコと燃えていると。 サース

いちげざっくり
樋口倶吉氏と南雲昭治氏
樋口倶吉氏と南雲昭治氏

スーちゃんのコメント



【語り部】 樋口倶吉さん(大正7年3月12日生まれ)
【取材日】 2005年5月28日
【場 所】 ミオン中里(旧中里村)
【同席者】 南雲キクノさん
コーディネーター
及び合の手発声
南雲昭治氏(前中里村公民館長)
【取 材】 藤井和子

これは何とも気味の悪い話である。
水木妖怪のような形ある妖怪ではないが、
人間の心に巣食う妖怪が、
自らの正体を現すような
ぞっとするような妖怪譚である。
殺人者と、当然ながらそれを恨んで仕返しをする、
殺された六部のこころもネガティブであり、
二つの心の闇はワンセットになっている。

伝統的な農村のいわゆる村落共同体では、
村人同士が緊密につき合っている。
よくいわれるように
砂糖や醤油の貸し借りをするような隣近所は
大変親しい。

(小豆島では、昭和30年代までは当り前のように、
調味料を隣で借りていた。
返すのを見たことはなかった!)

魚沼米を産む棚田(旧中里村)
魚沼米を産む棚田(旧中里村)
(写真提供:なかさと清津観光協会)

よく知っている間柄だから、
お互いに助け合う。
まったく付き合いのない者どうし、
例えば隣村の人から“助けてくれ”と頼まれても、
緊急事でなければ、
不思議にも知らん顔が出来てしまう。

「よく知らない人だもん」

という言い訳が通る。

「あの人は親切心がなかった」

と、人から後ろ指をさされたりはしない。
うちと外(よそ者)の境界は、
よく知っているかどうか、が目安の一つである。

ところが、六部、旅芸人、山伏などは、
時に通り過ぎる人々であり、
富山の薬売りのように定期的に来る人達でもない。
数日滞在すれば居なくなる、
完全な“よそ者”である。
場合によっては彼らが村にやってきたことさえも
知られないほどの存在である。
居なくなったとしても、
村人は深くは詮索しない。
知らない連中は興味の対象外である。
この物語は、
このような伝統的な村の人々のマインドと、
そこにふらりとやってくる“よそ者”
位置づけが前提となっている。

この話のように、
いままでひどい暮しをしていた貧乏人が、
理由がはっきりしないままに、
ムクムクと金持ちになった場合は、
何かあったな、と陰口をきかれる。
話題に飢えた村人の格好の話のネタになる。
現代では、一部のマスコミが、
この役割を一生懸命、身を粉にして果たしていますよね。
村人は、“他の人と同じ”場合に
心の平静が保たれ、安心感を得る。
やっかみは、どんどん悪い方へと話題を膨らます。
そのほうが噂話としては、
迫力があって面白いからだ。

昨日までの貧乏人が、
自分には手の届かないような金持ちになっちゃった、
というコンプレックスは、

“金持ちになるのに、
人殺しなんぞしているじゃないか”

という優越感となって、
何ほどかの心の均衡をもたらす。

殺人の証拠は何もない、
あるのは金持ちになったという事実だけ。
噂話をしてウサをはらしても、
村人の気持ちにはなぜか、モヤモヤが残る。

本編ではグロテスクなオチがついていて、
この割り切れない、嘘かホントか分からない話に、
真実の光があたる。
かわいい血を分けた息子が、
突如、殺された六部の顔になって、
最後に「こんな晩だったなあ」というオチである。

落語の「もう半分」もこの話と筋立ては同じ。

・・・人を殺して金を奪い、金持ちになるが、
化物のような息子が生まれる。
生まれたときから、白髪頭に歯を生やし、
顔と言えば殺した爺さんに瓜二つ。
この口のきけない息子が、
夜な夜なあんどんの油をなめて
「もう半分ください」と、
父に向かって爺さんと同じ台詞を発する。
忌まわしい過去を突きつける。

このような筋を持つ昔話は、全国に散見する。
村内の縦横に張り巡らされた人間関係がかもす
息詰まるような緊張感、
均衡が破れたときのネガティブな復元法。
スーちゃんは、
こういった心の動きが、怪談ではないか、
と思っている。
このような因果応報、たたりの話は、
表立っては、喧伝されないものの、
陰では、誰もが知っている
有名な(notorious)話になりやすい。