カマスキツネ

(新潟県、山北町)

●山北町[さんぽくまち]のこと

新潟県の最北端にあり、山形県鶴岡市まで44km、県庁所在地の新潟市まで106kmという土地である。那覇空港(沖縄)から新潟空港で降りて、新潟市~JR新発田駅(JR白新線、普通)で乗り換えた。特急でJR布屋駅(羽越本線)まで1時間20分。駅には、語り部の加藤倉三さんがニコニコしながら出迎えてくださった。

この町は、人口7290人(2005年度)。 この50年間で半数になった。
一般に高齢者といわれる65歳以上が33.6%を占める全国に先駆けるような過疎地域になっている(平成12年度)。出生者数1に対し、死亡者数3.1という現状だ。
地勢は厳しく面積の93.3%が山林で占められ、豪雪地帯である。
5月20日過ぎというのに、路肩の向こうにきらっと、残雪が残っていた。

特産品は、しなの木の皮を繊維にした「しな織り」と赤かぶ。婆ちゃんたちの漬ける赤かぶ漬物はきわめて美味というウワサだ。

昔、山北町の大谷沢付近のすぐ裏手に山が迫っているような、
小さな村に若い夫婦が住んでいた。

まもなく赤ん坊が出来た。
二人は百姓やってらに、赤ん坊が生まれては、
田圃や畑に赤ちゃんを連れて行かんねし、
誰か子守コ、居ねもんかな、と思っていたんだと。
あちこち口かけても、まとまらねえんだと。

(方言は、そんなにきつくないのですが、目で文字を追う容易さを考慮して、会話だけに方言の注を入れます。)

語る加藤倉三さん
語る加藤倉三さん

ある人が来て言った。

「どこの子か分からないが(どこの子だか知らねえんども)
しょっちゅう村に来て遊んでいる子がいる。
その子にでも頼んでみたら?」

その子が遊んでいるところに母親が行って、聞いてみた。

「あんた、どこの子だ?(おめえ、どこの子だや?)

「おれは、あっちだ」

というばかり。
で、名前を聞いても黙ったままだった。

仕方がないので、余り分からない子だが子守を頼んだ。

「ウチには半年くらいの赤ん坊がいるんだが、
子守りをして貰えないか、どうだろうか?
(おれのうち、半年ぐれえの赤ん坊、居だんだが、
子守りして貰いてえんだが、どうだろう?)

その子はすぐに答えた。

「子どもは大好きだから、行きます
(子どもなば、大好きださげて、行くワ。)

「明日から、来て欲しい(あしたから、来てくれちゃー。)

翌日、子守の娘がやってきたときに、母親は言った。

「おれは、朝はおっぱい飲ますし、昼も戻る。
ただ、この子は半年そこそこだ。
小昼[こびる]休みには、どうしても腹、減らすから、
おれも戻っておっぱいを飲ます。
小昼休みには、どこにいても戻ってきてくれよ」

小昼どきには、必ず帰ってくれ、これだけは守って欲しい、
と、くどいほど念を押した。

娘も「はい」と、答えた。

加藤さんの注:
コビルは、ここらでは、10時と3時のおやつの時間だべね。)

その小昼になった。

子守の娘は、なぜかやってこない。

やきもきしていると、1時間も遅れて戻ってきた。
よくよく言いきかせた。

“3時の小昼には、必ず戻っているように。”

と、又、念を押した。

ところが、翌日になっても小昼の時間にたいそう遅れて戻ってきた。
2日経っても3日経っても、同じことだった。
朝はちゃんと来るし、夕方も時間を守るが、
途中がさっぱりのようだ。

4~5日経って、

「おめえのうちは、どこだ?」

と聞いても、「あっちだ」というだけでラチがあかない。
そっと子守コの後を付けてみた。

・・・山の方へどんどん登って行く。

しばらく歩くと、家とはいえないような、
ちっぽけな小屋があって、娘はその中に入って行った。

あれっ、こんな所に入って行くが?

と、思いながら、外からそっと覗いてみたら・・・!
身体は着物を着て人間の格好をしているが、
頭の方はキツネという・・・
人というのかキツネというのか、おかしな母親がいた。

化けギツネ(左)、化ける稽古(右) 歌川国芳画
化けギツネ(左)、化ける稽古(右)
歌川国芳画

子守コの娘は、背中の赤ん坊を下ろすと、
母親に向かって妙なことを言った。

「クオ~かい? クオ~かい?」

“??”

物陰の母親は、訳が分からなかった。

キツネの母親は言った。

「まだこの子は小さいから、美味くないぜ。
食うのはちょっと待て。もっと大きくなったら食え」

と、娘をなだめているようだった。

・・・うわっ、こりゃ大変だ。

母親はびっくりして、その足で、村の区長の家に駆け込んだ。

「おれの頼んだ子守コ、とんでもないヤツだ。
あれは化けギツネだ。かくかくしかじか」

区長もびっくりして、

「裏の山には、悪ギツネがいっぱいいる。
田圃を荒してはおったが。
子どもまで食うとなると、放っておけないな」

皆で相談したところ、
キツネを退治するしかない、という意見だった。
そこで、キツネがうんと棲んでいるから、
2匹や3匹入る位のではなく、
村中総出で、2晩も3晩も掛かってカマスを編んだ。

何と! 幅1間半(2.7m)に長さ20m近くもある、
バカでかいカマスになった。

注:カマスは、藁で編んだむしろを二つ折りにして作る袋。
穀物、塩、石炭などを入れた。)

出来上がったカマスを屈強の男衆が、3人も4人もかかって担ぎ、
山の入口に置いた。

夕方近くなって、節を抜いた大きな竹筒を手にしながら、
双眼鏡のように見せびらかして、一人が中に入った。

大声でどなった。

「おお、見える見える! 東の方に江戸が。
南の方には京や大阪が見える!」

「うわ~、こりゃすごいぞオ」

次に入った男衆も、同じように叫んだ。

「江戸も京都も、みんな見える!」

次の男衆もはカマスに潜り込むと、
同じように遠くが見えるフリをした。

これを聞いて、そろりそろりと、山からキツネが降りてきた。

“一体、何しているんだろう?”

という顔をして、遠巻にカマスを囲んだ。

シメたっ!

そう思った男衆は、一段と声を張り上げた。

「そこにいるキツネよ。
誰でもええが中に入って、ちょっと覗いてみねえか?
そうだな、みんなが入ってしまえば、
この遠眼鏡を渡してやるがな」

江戸や京が見えるという遠眼鏡、
キツネどもは賑やかな都を見たくてたまらない。

あちこちからすっすっと姿を見せると、
10匹以上のキツネが、われがちにカマスに潜り込んだ。

「それっ、今だ。かかれ!」

3人の男衆は、すぐにカマスの口を閉じた。
一網打陣に悪ギツネを退治した。

スーちゃんのコメント



【語り部】 加藤 倉三さん(1929年9月生まれ)
【取材日】 2006年5月23日
【場 所】 市民交流の館、「八幡」(はちまん)
【同 席】 板垣容子さん、大滝和子さん他2名
【取 材】 藤井和子

時間がゆっくり流れる村の生活、
お互いが顔見知りで、“世間の眼が光っているから”
悪いことは出来ない村(伝統的な村落共同体)にあって、
正体不明の子守コは、実は危険なよそ者である。

山場の一つに、子守コが実家(?)に戻って、
化けギツネの母親に会う場面がある。

母親の格好も妙ちきりんだが、
自分が世話をしている赤ん坊を餌としか考えていない
子守コの娘も、おかしなことを言う。
舌なめすりをしながら、
「食おうか、食おうか?」と母親に聞くのである。

正体不明の人間(化けキツネ)
由来のはっきりしないこの子守コが 危険であることを活写している。

お金のやり取りのある生活・・・

金で時間を売り買いする生活になると、
正体不明な人物であっても、ニーズを満たそうとすれば、
仕事を頼むし相応のリスクを負うことになる。

“大切な吾が子を、由来のはっきりしない人間に任していいか?”

という親の側の内心の不審感があったとしても、
他に方法がなければ仕方がないことだ。

この話は、この村によそ者が入って来るような、
貨幣経済の時代を鋭く予感しているように思えるが、
どうだろうか。

さて、他にカマスに入るキツネの話は、次のようなのがある。

・・・山の麓で若い衆が、キツネに出会った。
唐米袋(米一斗入る藁で編んだ袋)に、
キツネを追い込んで生け捕りにした。

村に戻って、「わしは、キツネを生け捕りにしたぞ」
と言いながら、袋を開けた。
ところが、中から出てきたのは、五輪塔一つ。

「なんだ、こんなもの!」

と、投げ捨てると、
・・・ややや、キツネがキャンキャン鳴いて、
雲を霞と逃げ去った。(京都府伊根町)

(出典、日本の世間話第5巻「狐をめぐる世間話」
松谷みよこ編、青弓社刊、1993年)

ユーモアのある明るい話になっているが、
結果的にはキツネに人間が騙される民話である。

このように民話では、人間が“キツネに騙される”
という役回りが普通であるが、
本篇は、逆に“キツネが人間に騙される”仕掛けである。

民話は、動物がものを言ったり、
好きな場所に飛んで行ける融通無碍の世界であるが、
本篇は役回りの逆転した珍しい話である。

笹川流れ(名勝天然記念物)
笹川流れ(名勝天然記念物)
奇岩は、特異な景観を備え山北町の観光の目玉となっている。
写真提供:山北町