ゴト淵の河童
![門脇昭辰氏 写真](../../images/32_shimane/11_pic01.jpg)
さて、門脇昭辰氏の話です。
都万川[つま]には、昔はあちこちに
河童の住んでいそうな深い淵がありました。
子どもの頃は、年寄りから
「あんまり遅くまで遊ぶなよ。
カワコに引っ張りこまれるからな」
と、言われたものだったという。
都万川にゴトという淵がありますが、
水面すれすれに洞穴があり、
河童が一匹棲んでいました。
これは昔は深い淵でしたが、
今は河川工事の影響で淵はほとんど埋まっています。
![河童(境港市、水木ロ-ド)](../../images/32_shimane/11_pic02.jpg)
ゴトの近くに住む
山崎力之介[りきのすけ]は、
いつも馬を洗ったり
草をはませたりして、
淵の側で馬の世話をしていました。
その日も、土手で馬に草をはませていたのですが、
河童はかねてから
“いい馬だなあ”
と、目をつけていたので、
今日こそは川に引き込んでやろう、
とチャンスを窺っていました。
馬は何も知らずにのんびりと草をはみ、
次第に淵に近づきました。
河童は、それっとばかりに飛びだして、馬の手綱を手にすると、
自分の身体にグルリと巻き付けました。
水中では、河童の力は強いので、
自分でも大いに誇りに思っていました。
“ゴトの河童さまの力だわい、あんな馬くらいなんだ。ヘン”
いっぽう、力之介が自慢にしている名馬です。
河童にぐいっと引っ張られて、
一瞬驚きましたが、だっと走りだしました。
河童は淵から引きずり出され、
オレとしたことが、いったいどうなったのだ、
と、考える暇もありません。
馬は、やみくもに走り始めました。
![ゴトの淵 写真](../../images/32_shimane/11_pic03.jpg)
淵の凄味はもはや無かった。
![横枕橋 写真](../../images/32_shimane/11_pic04.jpg)
この淵をすこし行ったとき、
河童は横にまくれ(転倒して)ました。
それを見ていた村人は、そこを横枕と名付けました。
馬は闇雲に走って、自分でもどこをどう走っているか
頭がぼーっとしてきました。
河童を振り払いたいのですが、
しっかり手綱に身体を縛っているので離れてくれません。
河童の腕がもげた所は、
今も腕[かいどり]という地名で呼ばれています。
河童の血が点々と落ちた所を、落血[おちじ]、
河童はだんだん身体を擦られて骨と皮になりましたので、
そこをかわほね。
馬は走りに走って、とうとう山の上まで来てしまい、
ここで哀れな河童は命を落としました。
馬は安心して一息つき、
安が尾根[やすがおぜ]と呼ばれています。
![檀境(だんきょう)の滝 写真](../../images/32_shimane/11_pic05.jpg)
(昭和3年<1928年>2月16日生まれ)
河童は、さまざまな呼び名で呼ばれている。
かわこ、河太郎、ぐわっぱ、がたろう、がめ、など。
地方によっていろいろである。
小豆島では、子どもの頃、
父がガタロさんが生き肝を抜くと言うのを聞いたことがある。
隠岐にも河童の話が多くある。
もともとは旧西郷町の河童が、
よりよい住処を求めて、
全島の川に散らばったとも聞く。
隠岐にやって来たのは、
有名な熊本の八代の河童一族なのか、
黄河から渡来したのか、
今もって素性は謎である。
人と相撲を取るのが好きで投げ飛ばすとか、
人(子ども)や馬を川や池に引き込んで
肝を抜くなど芳しくない話が多い。
地方によって、呼び名がいろいろあるように
河童の為す業[わざ]もさまざまである。
遠野には村の人妻に子を生ませた河童さえいる
(「遠野物語」)。
多和田葉子の「犬婿入り」は、
昔話に材を取った奇想天外な小説で、
芥川賞を受賞した(1993年)。
遠野のこんな河童も斬新な視点で、
芥川賞をかっ飛ばせないものか。
昔話には、素朴な異類婚の話は多い。
本篇のように、河童側のかわいそうなまでの
完敗で終わる河童話、
しかも地名として残っている昔話は
珍しいのではないか。