鞍石

(香川県小豆島)

このお話は、講演や小豆島土庄町の囲碁クラブで活躍中の
太田穣[ゆたか]氏から伺いました。
この方は、元教育者で現在78歳です。

その若い男はもうすぐ日が変わろうとする夜更けに、
村の飲み屋で一杯引っかけて、
いい気分で家路に向かっていました。
鼻歌だけが闇夜を駆け抜けてゆくような、真っ暗な夜でした。

どこまでも続く田圃道は
漆黒の闇の中にしずもっています。

ところが...

馬の鞍に形が似ていることから、
みんなが「鞍石」と呼んでいる大きな岩の所に差し掛かったとき、
この岩がまるでスポットライトを浴びたように
クワッと明るくなりました。

男は不思議に思って谷を渡ると、
そろそろと岩の上に這い上がりました。

...アアラ不思議、

見たこともないほど美しい娘が笑みを浮かべて
岩の上にちょこんと座っているのです。

夜更けに、若い娘がこんな寂しいところにたった一人で、
なぜいるのだろうとちょっと変に思ったのですが、
娘のこぼれるような笑顔に引き込まれて

「よう、ねえちゃん」

と、彼女の肩に手をかけました。

とたんに娘の姿が消えて、
いやというほど尻餅をついてしまいました。

「アイタタ...」

と、起きあがりながら周りを見回しますが、
闇はますます深く
自分がどこにいるのか訳が分からない有様です。

「いい女じゃったな、どこへ行ったんやろ?」

と独り言を言いながら、
きょろきょろ周りを見回わしても漆黒の闇のまま。

あのきれいな娘の...
ばら色の頬に切れ長の目に加えて、
なよなよとしなだれかかってくるような妖しい風情が、
男の心を金縛りに掛けます。

娘の魅力にあらがうのは難しい。
どうしていいか分からなくなって、呆然と立ちすくんでいます。

と...鞍岩の上が、真昼のように明るくなりました。
続いて、田圃といわずあぜ道といわず、
周りの木々のすべてが真珠のように煌めき始めました。

その明かるさは、太陽の光でもなく月のものでもない、
この世ならぬ異様な明るさでした。
思わず目をつぶったとき、

...ヤヤヤ、

今度は目もまばゆい光で一杯の部屋の中に
座っているのでした。

この部屋は壁も柱も天井も真珠でびっしりと飾られ、
というよりは真珠の部屋でできているのでした。
真珠は光を反射し、
光の輪は互いに輪を作って交錯しあい
部屋自体がこの世のものとも思えないほど、輝いています。

ま、部屋が発光体になっているんですね。

男は打ち続く出来事に
もう何が何だか考えることもできなくなって、
骨のない人間のようにぺたりと座り込んでいました。

あれれ...

正面の床の間にさっきの娘が。

こぼれるような笑みを浮かべて、
手招きするではありませんか。

「あっ、あの女だっ」

こんどこそと思うと、なぜか元気が出てくるのでした。

やがて、着飾った腰元が
酒や山海の珍味を捧げもってしずしずと現れ、
お酌をしてくれます。
さっきの娘も近づいてきて
にこやかに酒を注いでくれます。

錦の着物に身を包んだ
花のような腰元たちが次々に現れると舞を舞い、
傍らの娘はたえずお酒を勧めてくれますので、
まるでお殿様になったような、
たとえようもないほどよい気持ちです。
お目当ての娘は、
目元も仇っぽく今や触れなば落ちんといった風情で、
ものすごい迫力です。

しかし、誰も口を利きません。
ただただ気もそぞろな男は、このことに考えが行かず、
魂を奪われてはしゃぎ回っています。

ものの一刻もたった頃、
何気なく隣に座っている娘の顔をのぞき込んだ途端

「きゃっ」

と一声挙げると気を失ってしまいました。
あの、妖しいまでにきれいな娘は、
顔の半分崩れかかった一つ目小僧だったのです。

翌朝、鞍石の上から

「うーん、うーん」

といううなり声がして、
朝露を踏んで通りかかった村人は岩の上に這い上がってきました。
鞍石の上には若い男がいて、

「一つ目が、一つ目が」

とうわごとのように繰り返すばかり。
ようやく聞き出したのは、息を呑むほどの美人の話でした。

鞍石の出来事は村中の評判になり、
暗くなってからはもう誰もその下を通らなくなりました。

鞍石が割られたのは、
明治20年頃(1888年)だそうです。
それから田圃になって、鞍石のあったあたりには長い間、
地蔵が一体建てられていました。

戦後、その地蔵は壊されて現在のは2代目です。

鞍石の村 写真
鞍石の村を望む(現在は香川県小豆島・土庄町に編入)
地蔵写真
地蔵(戦後のものは2代目)
地蔵
地蔵(戦後のものは2代目)

スーちゃんのコメント

太田穣氏がこの話を聞いたのは
小学校6年(1931年)のとき、おじいさまからでした。
おじいさまは村の庄屋さんで、
昭和11年(1936年)に亡くなられました。

太田さんは次のようにコメントしています。

「じかに祖父から聞いたのは今のような話ですが、
自分が戦争から戻ってきたあと昭和22年頃に、
村の年寄りから聞いたのは別の話でした。
どうして話の筋が違うのか、今もって分かりません」

太田穣氏とスーちゃん
太田穣氏とスーちゃん(1998年2月)

スーちゃんは、妖しいまでの美貌という化け物に
会ってみたいのですが、この世にいたらすごいことですね。
今回のあやしい者達は、
それにしてもなぜモノを言わなかったのでしょうか?
そしてもうひとつ。
化け物というのはどういう声をだすのでしょう?
分かる人はぜひ、教えて下さい。

なお、撮影していただいたのは、
太田昭生さん(47)です。

太田昭生氏
太田昭生氏(小豆島オリビアンにて)
撮影:藤井和子

この話の太田穣さんとは、
同じ村の住人ですが親類ではありません。
本業は小豆島の「鞍石」のある村から、
船で高松市の勤務先に通勤している
香川県立高等学校の先生です。
一貫して社会種のテーマを追っているカメラマンです。
往きは右手に見える大島へ、写真展の撮影のために
既に50回以上も足を運んで、
島の人々と膝突き合わせて語り合い、写真を撮りました。

1998年3月には、東京銀座のニコンサロンで
写真展「魂の島・大島-らい予防法廃止後の今」
を開かれました。

この「鞍石」の話は知りませんでしたが、
鞍石のあった付近に今も立つ地蔵は、

「夜になると一人で歩いて道路に出てくる。
大体あのあたりは怖いところ、と年寄りから聞いている」

とのことです。