ごせんぼ

(香川県、小豆島)

語りの川井和朗氏によれば、
小豆島を代表する妖怪は、“ごせんぼ”だという。
昔々、晩方になって、
ご馳走を重箱や折り詰にした土産を手にした男が帰る路で
ごせんぼに出会った。

だいたいは、晩がたに出るんですワ、

と川井氏。

川井和朗氏
川井和朗氏

酒が入って、上機嫌になってふらふらと夜道を歩いていると、
向こうから裸のわらべがやってくる。

「おっさん、相撲とらんか?」

と、必ず言う。
みれば、相手はこんまい(小さな)小坊主なので、

「こんなん(こんな奴)に、わしア、勝てるワ」

と、見くびって

「よっしゃ!」

と言うと・・・
相手の術中に、うまうまとはまったことになるのですね。

初めは小さい子どもなので、なんなく投げ飛ばす。
立ちあがった子どもは、
う~ん、一回り大きくなっちゃったよ。
投げ飛ばす毎に、だんだんでかくなって、
最後には大入道になる。

あわわ、化けもんだったのです!

手に負えなくなっても、逃げるに逃げられなくなる。
立ち往生していると、
ごせんぼはご馳走をさっと横取りして、消え失せる。

川井氏は、「もう一つ、ごぜんぼの話があるんですワ」 という。
それは・・・ 向こうからやはり、小童が近づいて来る。
この子は、相撲ではなく綱引をしよう、と言う。
小さい子どもなので、気軽に応じると、
しまいには大入道になって負ける。

背景のテント張り桟敷
背景のテント張り桟敷は、太鼓を見物する場所。
(小豆島の池田町、重要無形文化財)
綱引きを真似る子ども
綱引きを真似る子ども

また他のごせんぼは、綱引きの旗色が悪くなると、
親や兄弟をたくさん呼んで来る。
1対多数でも、ごせんぼはお構いなし、
とにかく、勝つことしか頭にないらしく、やたらに引っ張る。
これに勝つには、人間の知恵が要る。
例えば、そばの大木に、
綱の端をまくい付けとって(巻きつけて)
知らん顔をして引っ張る。

川井氏「これじゃ、ごせんぼは勝てませんわナ」

と、じっと聞いていた谷上氏の質問。

谷上氏「ほんで(それで)、ごせんぼが負けたら、
どうなるんですか?」

川井氏「普通はごせんぼが勝つ話が多いンやが・・・
彼らが負けたら、逃げるからな」

取材風景
取材風景
(左から坂本富子氏、川井和朗氏、坂下公臣氏、谷上時彦氏)

負ける話は、
ごく少ないものの2箇所(琴塚と伊喜末[いぎすえ]にあるそうだ。
つい先日、川井氏は負ける方の話を採集したばかりだという。
教育界を退いて今なお、
島の民話を採集している先達である。

スーちゃんのコメント



【語り手】 川井和朗氏 (民話研究家、
昭和6年<1931年>9月2日生まれ)
【取材日】 2005年10月17日
【場 所】 小豆島、土庄町立中央公民館
コーディネーター 谷上時彦氏
【同席者】 坂本富子さん、谷上時彦氏、坂下公臣氏、南堀英二氏、藤井牧子さん
【取 材】 藤井和子

ごせんぼは、
川井氏によれば、河童の一族で、
この話は島のあちこちにあるそうだ。
呼び方は、こせんぼ、ご~せんぼ、こせんぼ、
などいろいろ。
ただ、スーちゃんの育った東部(内海町)では、
寡聞にして耳にしたことがなかった。
この化け物は、
河童と同じことを言って近づいてくる。

・・・相撲を取ろう、綱引きをしよう。

河童が相撲好きなことは、
全国各地で共通している。
ごせんぼの相撲は、
大入道になることで終わりで、
相撲の取り口とか、
どういう風貌をしていたかの具体的な描写は
皆無なのである。
ス-ちゃんは、声も聞きたいな!

他の地方では、相撲の取り口は、
(河童は小童なので)小兵ながらくるくる動き回るとか、
身体がぬるぬるしていて捕まえにくいとか、
生臭い厭なにおいがするとか、
微に入り細に入りして説明する。
また、河童の姿は人には見えないので、
たまたま人が通りかかっても、
男が一人で相撲を取っている珍妙な姿しか
目にはいらないともいう。

ごせんぼは、小豆島、ことに西部では、
この話を語っている古老の記録も
昔話の小冊子に必ず1、2話は残されているほど
有名な妖怪である。
しかし、河童の一大特徴の“頭に皿がある”とか、
“左右の腕がつながっているので、抜けやすい”とか、
身体上の描写はいっさい記されていない。

また、ごせんぼ、は、大して悪辣ではなく、
近づいてくるテクニックも稚拙。
他の地方では、河童に一晩中相撲を挑まれて、
発熱したり発狂して、
修験者に加持祈祷を頼む
大騒ぎになることもあったらしい。

ごせんぼの願いは、
重箱のご馳走を取ることで、
江戸時代の農村風のどこかのんびりした
雰囲気が漂っている。
江戸時代の農村生活の一端は、
盆踊りの歌に残されている。

♪ 盆が来たらア ま~た、麦に米、ま~ぜてえエ、
それに ササゲを振り混ぜてソレ、
や~やとや、ソレ、や~やとや ♪

これは、スーちゃんの育った
「馬木踊り」の歌の文句であるが、
(旧盆)のご馳走のことを歌っている。
麦飯に少しの白米、
ぱらぱらと赤い豆を振ったごはん、
つつましいですね。
論談風発の坂下一朗内海町長(75)とは、
期せずしてこの辺の感想が一致した。

(5つ6つの頃習った盆踊り、
スーは今でも踊れるからね。エヘン、エヘン)

だから、自宅で行う結婚式や葬式・法事の土産の重箱は
飛び切りのご馳走だったに相違ない。
普通、讃岐うどんと、
ばら寿司の二段重ねであった。

小冊子の中で語っている古老も、
ごせんぼに恨みなどは
持ち合わせていない風がアリアリ。
どことなくノホホンとした、
人の良い小豆島人なのである。

どういうのが、小豆島人かって?
ま、「二十四の瞳」(壺井栄著、講談社、青い鳥文庫)
に出てくるような人達ですよ、
読んでたもれ。

ごせんぼによく似た小豆島の妖怪に、
“かぼそ”がいる。
これも見た者はいないが、
とにかく居たらしい。
いつか書きたい。

ごせんぼと、大筋が似通った話としては、
かなり以前に「妖怪通信」に書いた、
小豆島の東部、内海町の昔話
極楽寺の豆だ(豆タヌキ)がある。
これも参照されたい。