勘右衛門[かんね]どんの息子のほら話

(佐賀県、唐津市)

今日は勘右衛門どんの息子の話をしよう。

勘右衛門どんのほら吹きのことは、唐津の辺りだけではなくて肥前(佐賀市)の辺りにまで、聞こえていた。

筑前(福岡)の福間というところにもまた、又左衛門というほら吹きが居たそうだ。

この人が勘右衛門どんの話を聞いて、

「勘右衛門が日本一のほら吹きだって?
そんなことがあるものか? おれの方が日本一だぞ。
どちらが日本一か比べてみようか!
(勘右衛門が日本一ンほら吹きてや?
そぎゃんこつンあるもんけ、おりが方が日本一ばい、
どっちが日本一か、比べえちみんこて!)

そう言いながら、唐津の勘右衛門の家へやって来た。

在りし日の柴田雄一郎さん
在りし日の柴田雄一郎さん

勘右衛門どんの家に来てみると、
今でも倒れそうな細い家の門口に、子どもがいた。
その子は十歳ぐらいで、着ている着物はつんつるてん、
襟は垢で汚れて、ピカピカ光っていたということだ。
その上、鼻には二本、青ばなをだらしなく垂らしていた。

又左衛門どんが来たことにも気がつかない様子で、
歌を歌っていた。

♪からす からす 勘三郎
       我が家ン縁ンのきン燃えてしまう
  早く行って 水かけろ
  からすの宿に 火がついた
   一本橋が 燃えてしまう
    早く行って 水かけろ♪

歌いながら、小さなざるを作っている。

又左衛門どんは、
この子が勘右衛門どんの息子だろうかと思って、

「わしは、福間の又左衛門だ。
勘右衛門どんはおられるかい?
(おりゃ福間の又左衛門ばい。勘右衛門どんな、おらすけ?)

と、尋ねた。
その子は

「お父さんはおられないよ(ととやんな、おらっさん。)

と顔を上げた。

その時、青ばなをスターッと落としてから、
またズルーッと吸い込んだ。
それはそれは、汚いなんてものじゃなかった。
おぞましいものだった。

「それなら、どこかにお出かけになったのかい?
(そんなら、どけ行かしたけ?)

と尋ねた。
息子はぶっきらぼうに

「お父さんは、富士山が夕べの風で倒れたからと、
奈良の大仏様が言って来られたから、線香を持って、
突っ張りに行かれた
(ととやんな、富士山の、ゆうべン風で倒れかけたち、
奈良の大仏様ン言うち来らしたけん、
線香ば持って突っ張りに行かした。)

と言ったから、びっくり仰天。

今度は、

「それなら、お母さんはおられないか?
(そんなら、かかやんな、おらすけ?)

と尋ねた。
すると息子は、

「夕べ 雷様が鳴ったでしょう?
あの時、雲が破れて雨がざあざあ降って困ったから、と、
お釈迦様が言って来られたから、
針と糸を持って(穴を)なおしに行かれた
(夕べ、雷様ン鳴らしたろうが?
あん時、雲ン破れえち、雨ンじゃんじゃん降って、困っちょるち、
お釈迦様ン言うて来らしたけん、針と糸ば持って、ふせぎゃ行かした。)

と言った。

これを聞いた又左衛門どんは、

“勘右衛門の息子だけあって、大きなことを言う。”

と思った。
なんだ、こんな小さい息子に負けちゃいられない、と思って、

「それじゃ、夕べの風でわしの家の石臼が
吹き飛ばされたんだが、 ここまで探しに来たんだ。
どこかで見かけなかったかい?
(そいぎさい、夕べン風で、おりが家ン石臼ン吹き飛ばされたけん、
探しぎゃ、ここまで来たいどん、どっか見かけんじゃったけ?)

と尋ねた。
すると息子は、青ばなをずるっと吸い上げ、
にやっと笑いながら、

「ああそれ?
それなら、うちの便所の窓にある蜘蛛の巣に、引っかかっている。
ブラブラ風に舞っているよ
(ああそいけ、
そんなら家ン雪隠小屋[せっちんごや]ン窓ン蜘蛛ン巣に引っかかって、
きりきり風に舞うちょるばいン。)

と言った。

又左衛門どんは、もうあきれてしまった。

ここで引き下がると、
福間の又左衛門の名に関わると思って、

「おまえは、ここで何をやっているんだ?
(わりゃ、ここで何ばしとるけ?)

と、尋ねてみた。 息子は

「おれかい?
おれは、裏の川にクジラが上がって来たから、
それをすくおうと思って、今ざるを作っているところだ
(おりかい? おりゃ、裏ン川に鯨ン上がって来ちょるけん、
そいば掬おうち思うち、ざるば作りよるとばい。)

と、返事をしたんだと。

又左衛門どんは、こんな子どもが、

“ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う、ほらを吹く”

から、もうあきれ果てて、

「これはかなわない。
小さな息子でさえ、こんな大きなほらを吹くから、
勘右衛門どんなら、 どんな大きなほらを吹くか分からない
(こりゃ、かなわんばい。こまか息子てちゃ、こぎゃん太かほらバ吹くなら、
勘右衛門どんなら、どぎゃんこつば、言うか分からん。)

と言いながら、
とうとう逃げて帰ったそうだ。

今日の話はこれで終わり。

スーちゃんのコメント



【語り部】 柴田雄一郎さん
(大正3年8月生まれ~平成16年8月)
【取材日】 2000年5月9日
【場 所】 呼子の自宅
【テープの翻字】 田中裕之氏(佐賀県東京事務所)
田中裕之氏(佐賀県東京事務所)
【取 材】 藤井和子

唐津の勘右衛門[かんね]どんとほら比べをしようと、
わざわざやってきた福間のほら吹き名人が、
勘右衛門が留守のため、
息子のほら度(こういう言い方があるかどうか知らないが)にたまげて、
しっぽを巻いて逃げるほら話である。

ほら話とは、ちょっと聞けば嘘話だと分かる内容だが、
話自体はもっともらしい筋立てを持ち、面白く、
中には奇想天外な情景が活写されていていて・・・

このあたりは、本篇をすでに読んだ皆さんには、
説明しなくてもお分かりですね。

ほら話は、ちまちまとして狭苦しい筋立てでは、
嘘話と同じになる。
陽気であること、大ぼらであるほど明るく、面白い。

ずっと以前に、
スーちゃんは、アメリカで面白い人に会った。
彼は日本人であったが、

“自分は宇宙から来た。
人の運命を予言したり、話相手の頭の上に出る
オーラを見ることが出来る。”

と公言していた。
おまけに、UFOの宇宙人と話をしたこともあると言う。
今となっては、その細部はほぼ忘れたが、
話を聞くだに面白かった記憶がある。

宇宙科学を少し取り入れた現実性、
奇想天外といえる宇宙人との対話、
まゆ唾の大ほらだと思いながらも、楽しかった。

もうひとつのほら体験。
1964年の東京オリンピックは、今ではずいぶん
昔の出来事になったが、
スーは、編集者として、実に面白い人物と仕事をした。
それは、当時の日本アマチュア・レスリング協会会長の
八田一朗氏(1906~1983年)だった。
スパルタ指導法の権化といわれた八田イズムは、
今日の日本レスリング界に脈々と流れている根性論である。

いわく・・・

夢の中で化物に襲われても、勝つ夢を見ろ!
試合で負けた奴は、毛を剃るぞ
(陰の声:実際に上・下剃られたれた選手もいたそうだ。)

この八田氏がよく口にした言葉は、

“藤井さん、ほらは大きいほどいいんだ。
ほらが吹き当たることもあるから、当たると大きい。”

実際、東京オリンピックでは、
それまで鳴かず飛ばすの日本レスリングチームが、
驚くなかれ! 金メダル5個(日本全体で16個)を取り、
銅メダル一個も取って、日本中をあっと言わせた。

“表彰台の一番高い所に、日の丸を何本も揚げてみせる。”

と、胸を張りながら吹きまくったほらが、
現実に吹き当たったのだから、びっくりしましたね。

これらは、ほら話の本質を言い尽くしていると思う。
・・・面白いSF的な内容やシチュエーションとか、
大きなほら(ダボラぼら)の方が手応えがあるんだとか。

これに比べて、昔話でいうほら話には、
結末は出てこない。
今流にいえば、
ほら自体の“結果が出なくてもいい。” のである。

先に書いた、勘右衛門[かんね]どんのほら吹き話の項を
参照されたいが、彼らは、
話すうちに気分が高揚して、話がどんどん膨らむ。
現実には有り得ないほど巨大な竹や牛を作りだして、
話すほどに語るほどに、
自分の語りの世界に酔ってしまう。

勘右衛門の見事な締めで、笑いのうちに結末(オチ)を迎えるが、
聞き手はオチを楽しみ、なにやら納得してしまう。

日本のほら話は、例えば、教訓性の強いイソップ物語の、
嘘つき“狼少年”とは違うのである。
昔話の楽しさ・明るさ・陽気さと、
狼少年の教訓性・ホノ暗さ、
これら彼我の違いをお考えあそばせ。

皆さんも明日あたり、楽しいほら話を考えてみませんか?

唐津くんち
唐津くんち
(唐津神社の秋季大祭、14台の曳山が市内を練り歩く)
(写真提供:佐賀県東京事務所)