「せいじょ」

(新潟県、まつだい町)

むか~し、むか~し、ある山の中に、
爺さと婆さとが居ったんだと。
その爺さと婆さには、子どもが無くて、張りえが無えもんだが、
毎んち毎んち、

「神様、どうかおらーに、子どもを授けてくんなせい」

と、拝んでおったんだと。

(次からは、方言は大してきつくないのですが、
目で追う読み易さを考えて、会話だけに方言を入れます。)

美濃和 英氏
美濃和 英氏

そうしたらある日、
それはそれは可愛い男の子が生まれたんだって。
爺さと婆さは、

「まあ、まあ、これはめーごい子、
これはきっと神様が授けてくれたんだのオ」

と喜んで、“せいじょ”と、名前を付けた。
明けても暮れても「せいじょ、せいじょ」と可愛がって、
三人は仲良く、幸せに暮らして居ったんだと。

それがのオ。
ある年の雪がモカモカモカと降り、
山が嵐でゴオーッと鳴る夜だった。
爺さと婆さは、

「せいじょ、せいじょ。
今夜はこんなに荒れることだし、寒いから、早く寝ようよ
(寒いっせ、早く寝よじゃ。)

と言って、寝床に行こうとした。

その時!

ゴウーゴウーと鳴る吹雪の合間から、
たった一声。

「せい~じょ~」

と呼ぶ声が聞こえたんだと。
それは、たった一回だった。

せいじょは、それを聞いて、

「あっ、誰かがおれを呼んでいるぞ。
出てみよう
(だいかが、おれを呼んでいるっせ。出てみるで。)

爺さは、

「せいじょ、せいじょ。
こんなに荒れているのに誰が来るというんだ。早く寝ろ
(こっけな荒れことに誰が来ると? 早く寝ろ。)

と、言った。
せいじょは、

「いいや、確かに誰かが呼んだから、出てみるよ。
すぐ戻って来るから、心配はいらないよ
(なじょ。確かに呼んだっせ。出てみるで。
すぐ来るっせ、心配いらんでね。)

まるで何かに引っ張られるようにして、
吹雪の中を出て行ってしまった。
爺さと婆さは、

「どうして、こんなに荒れるのに出て行ったんだろうか
(なしてこんげな、荒れことに出て行ったんだろうかね。)

と心配しながら、
せいじょが今戻るか、今戻るかとじっと待っていた。

せいじょは、いくら待っても戻って来なかった。
心配した二人は、真っ暗な戸間口へ出て、

「せいじょ~、どこに居るウ~
(せいじょ、どこやるウ~?)

と、二回、三回大声で呼んだが、返事は無かった。
ただ聞こえるのは、
山から届く嵐の音だけだった。

「今頃、どこへ行ったんだろう?」

と、爺さは独り言を言いながら、表を見たが、誰も居なかった。

・・・何と、
でっかい足跡がひとつだけ、ドカ~ンと残っていた。

せいじょは、その夜は帰って来なかったんだと。

息子はそれっきり戻って来なかった。

爺さと婆さは切ながって、春の雪解けを待って、
あの山この沢を“せいじょ~、せいじょ~”と、捜して歩いたが、
どこにも居なかった。
二人は、せいじょを思いだしては力を落とし、切ながっていた。

一年が過ぎ、二年が経ち、やがて三年目の冬になった。

その日も、ビュービューふぶく夜だった。
爺さと婆さが「今日は、早く寝るか」と、腰を上げたとき、
誰かがトン、トン、
トン、トンと表の戸を叩く音がした。

「今時分、誰だろうかね?」

と言いながら、爺さが戸を開けた。

驚いたことに、

「おれだ、おれだ。せいじょだ。
今戻ったよ
(おらしょ、おらしょ。せいじょだ。今来たで。)

そう言いながら、せいじょが吹雪の中にポツンと立っていた。

爺さはびっくりして(けっこにおったまげて)
狐に化かされたのではないかと思って、顔をつねってみた。
化かされたんじゃあない、
本当にせいじょだと分かると喜んで、

「婆さ、婆さ、せいじょが帰ってきた。
早く来てみろ
(せいじょがけって来たっせ! 早く出てみれや。)

と、でっかい声で婆さを呼んだ。

婆さもびっくりして、
曲がった腰をヨロヨロしながら、飛んで出てきたんだって。

少し大きくなったせいじょが、ニコニコしながら、
ポツンと立っていた。
うれしがった二人は、松束をどんどんくべて、
美味しいまんまにおつゆを作って、どっさり食べさせた。
二人が

「おまえは、今までどこへ行っていたんだ。
すいぶん心配したんだよ
(今まで、なは何処へ行っていたが? おら、えっぽと心配しんだど。)

と、何回聞いてもニコニコしているだけで、黙っていた。

「何とか言えよ。
おら、本当に心配した」

と言っても、ただニコニコしているだけなんだと。
夜もだいぶ更けたので、婆さは、

「それでは、また明日話すから、今夜はもう寝ようよ
(ほしや。また明日話すがんに、今夜は寝よて。)

その時、せいじょは、やっと口を開いた。

「爺ちゃん、婆ちゃんよ。
おれの寝ているところを見てはダメだぜ。
頼んだよ、いいかい
(爺ちゃ、婆ちゃ。おめだ、おれの寝ているとこ、絶対見ちゃダメだぜ。
頼むっせ。いいかい?)

くどいほど、念を押すんだと。

「そんなに言うんだったら、見ないから。
心配しないで、朝までゆっくり寝ろ
(そんげに言うんなら、見ねえっせ。心配しねで朝げまでゆっくり休め。)

そう言ったので、せいじょも安心して部屋に入ったんだと。

そのうちに爺さと婆さは、
だんだん部屋を覗いてみたくなった。

ソーッと、覗いて見たら・・・

せいじょは、部屋一杯の大男になって、
グーウ、グーウといびきをかいて、寝ていたんだと。

二人はおったまげたが、
あんなにせいじょに言われていたので、黙っていた。

朝、起きてきたせいじょは、

「爺ちゃ、婆ちゃ。
あんなに頼んだのに、おれの姿見たね。
見られたから、もう一緒には暮らせない。山へ行くからね
(あんげに頼んだがんに、おれの姿見たの。
見られたら、おらこれっきり、おまえちゃと暮らせねえっせ。山へ行くで。)

と、言ったかと思うと、二人が何か言う間もなく、
せいじょはタッタッタと、山の方に去った。

せいじょは、それっきり姿を見せなかった。

そうして何年か経って、
村のしょ(衆)が、浦田の深山に野菜を取りに行った。

休んでいた時、
でっかい木の上にせいじょがいた。
鬼の姿で、熊手を持って髪をとかしていた。
・・・爺さと婆さの家の方を、さみしそうに見ていた。

せいじょの後ろ姿は、
ほんに淋しげだったと。

村んしょは、声をかけようと思ったが、
おそろしくてソーッと山を降りてきた。
せいじょはそれ以来、何処に行ったのかさっぱり分からなかった。

イチゴシックリ

美濃和さんは、最後に、付け足した。

・・・(わたしの)爺さんは、

「この話はこれで、おしまいだ。
しょんべん(小便)ひって来て早く寝ろ。また明日、聞かせるで」

と、よく言ったんですね。

棚田の夜明け
棚田の夜明け
写真提供:まつだい観光協会

スーちゃんのコメント



【語り部】 美濃和 英氏
(まつだい町高齢者向け松寿大学、学長、
大正14年11月生まれ)
【取材日】 2006年5月25日
【場 所】 新潟県十日町市まつだい町(斉藤国平氏の山荘)
【同 席】 民話の会“あしたば会”の皆さん
【取 材】 藤井和子

「せいじょ」が、実は鬼の子だったことは、
大雪の夜までは、一度たりとも明らかにされていない。
せいじょは、自分の名を闇の底から一声呼ばれて、
まるで操り人形が引き手に引っ張られるように、雪の中に消える。

人間から鬼へ転換する舞台は、
雪の降り積む白い迷宮である。

その時にたった一つの大きな足跡が印されていた、というあたりから、
・・・育って行く間にも、成長が異様に早いとか、
大飯食らいだとかという異能は毛ぶりにも見せないが・・・
読者には、この子が異常な子どもではないかと、
不思議な思いが芽生えて来る。

鬼の子ども(バリ島)
鬼の子ども(バリ島)
写真提供:日本の鬼の交流博物館(福知山市大江町)

彼は、子の無い老夫婦が、「子を授けてください」
熱心に神仏に祈って、ようやく生まれた男の子であった。
いわば、神の申し子である。

神の申し子として、得た子どもには、
田沢湖の「辰子姫(「爺石、婆石物語」)
全国的な「瓜子姫」、新潟の「指太郎」等がある。
母親から生まれる者もいれば、
瓜や指から生まれる、豊かな想像力が生んだ人間?もいる。
共通点は、「授かった子ども」「神の申し子」ということだ。

民話の中でどういう出生をしたかは、
3つ位に大別されるという。

1.神がかって生まれる出生譚

2.神の申し子

3.鬼と人間の女との雑婚。

例えば、神がかった出生譚でいえば、
沖縄には、朝、手洗いに立った娘に、
太陽の光が当たり懐妊したという、原始神話的な伝承もある。

これに比べて、2番目の神の申し子譚、
両親が「子を授けてください」と熱望して生まれた子どもは、
本編のように、物語性がある。

五来 重氏(民俗宗教学者、1908~1992)によれば、
平安朝以降、中世の出生譚は、
ほとんどが「神の申し子」ものだという。
原始説話を抜けでた時期が平安朝というのは、
「源氏物語」に影響を受けて、
物語の世界が重視されたためかもしれない。

ほかに異常な出生の例としては、
既出の新潟の妻有[つまり]の鬼昔や、
有名な「鬼の子小綱」がある。

子どもは、鬼の父親と
人間の母親との間に生まれたハーフであるが、
いずれも幸福には暮らせない。
“親の因果が子に報い”を地で行くように、
悲劇的な死を迎える。

なぜ、鬼が人間の女をさらったりして妻とするのか、
何か謎があるように思うが、
スーには、断言できない。

せいじょは、「神の申し子」タイプの民話である。
寝ている鬼の姿を両親に覗き見され、彼らがタブーを破ったために、
もはや人間に戻れなくなった鬼である。

せいじょが、英雄なら、
“人間の姿を再び取り戻す”ために、
この続きの話(大奮闘して、ハッピーエンドに導くような)
が有るかもしれない。

しかし、鬼にも親を懐かしむ心があるのだ、というくだりを山場にして、

余韻を残したまま、終っている。